最前列で映写幕を 第二幕「たかが世界の終わり」(監督グザヴィエ・ドラン)1

2023.09.10

◆オープニングとその含意

グザヴィエ・ドランの映画には警句(アフォリズム)が出てくることが多い。2017年2月に公開された『たかが世界の終わり』にもストーリーを暗示するものが出てくる。

「人は様々な動機に突き動かされて、自らの意思でそこから去る決断をする、振り返ることもなく。同じように戻ろうと決意する理由も数多くある。」

ここではエイズで余命一年未満と宣告された、劇作家ルイの帰郷の物語になっているが、映画の中では、その理由には触れてはいない。

 オープニングは暗闇に徐々に明るさが増す飛行機の座席に、ルイが居る所からである。所在無げな彼に後部座席の子供が悪戯を始める。最後に彼の眼を両手で塞ぐのだが、ルイはその手を振り解こうとはしないのである。この象徴的な描写はドラン的であり、彼がこれからの人生で凝視しなければならないものを等閑視していると解釈できよう。

 空港に着き、暫く時間を過ごしてから、ルイはタクシーに乗る。通り過ぎる街並みと人々、そして後部座席のルイのバックガラスの遥か後方の空に赤い風船が二個漂っているのが映し出される。これも象徴的な伏線であろう。後の会話で分かるのだがルイは劇作家として成功を収めている。それは彼の夢であったかもしれないが、自分の僅かな余命と共に失われてしまうのである。それを遠ざかる風船で表現したのだろう。風船が二個あるのでもう一つは途中で電話を掛けた恋人との生活かもしれない。

 ルイが実家に着くと、母、兄アントワーヌ、兄嫁カトリーヌ、妹シュザンヌが待っていた。ぎくしゃくした会話とあげあし取りが続く。最後にシュザンヌが「ほらね、母さんにしかキスをしない」というくだりがあるが、原作では「誰にもキスをしない」である。ここはまさにドランの面目躍如といった感のある個所である。今までの映画を含めてドラン的世界では、母親と其の他の女性は区別されているのだろう。

 そこでカトリーヌが息子の名をルイにしたことを説明するくだりがある。彼女の家系は代々父親の名を息子に継がせたので、アントワーヌの名を付けようとしたが、彼が嫌がり弟のルイの名を付けたというのだった。彼女は続けて、貴方にも子供が出来たら自分の名をつけるのかと聞いてくる。兄は呆れ、妹は含み笑いをしている。彼はゲイなので、子供を作ることは出来ない。

 ここは原作とは異なっている箇所で、原作ではアントワーヌは二歳年下の弟である。彼を弟ではなく兄にしたところが、いかにもドラン的だと思われるのだ。この映画も今までの映画と同じく父親は不在である。ここではアントワーヌはルイが去った後、家父長の役割を務めようとして、結局果たせない、ルイにコンプレックスを持った男として描かれている。二重の意味でも父の不在は貫かれているのである。


いがらしデンタルクリニック | 新橋 歯科
院長 五十嵐淳雄