最前列で映写幕を 第一幕「わたしはロランス」(監督グザヴィエ・ドラン)2

2023.02.01

◆セリーヌの変容

ロランスがカミングアウトする前に、彼は国語の教師であり文学史の授業の一コマがある。ここもその巧さに唖然としたのだが、こういう科白がある。

「プルーストはソドムの行為を示すのに300ページも費やしてくどすぎる。戦時中に対独協力者の文学者達は、後に批難を浴びることになるが、セリーヌはデンマークに亡命し、さわやかな空気を楽しんだ。彼は卑怯者と呼ばれたが、作品の評価は非常に高い。作品が偉大であるがゆえに、追放を逃れ、さらに後の人々に影響を与える。そのような文学が存在するだろうか。それが次の小論文のテーマだ」と言ってウィンクするのである。これはまさにロランスの自己表明に他ならない。

彼は性同一障害を認識し、やっとの思いで女装して登校する。その結果学校をクビになり、文筆業に向かわざるを得なくなる。結果、恋人のフレッドも離れて行き、数年後一冊の詩集を出版する。それをフレッドに送ることで、一旦はよりが戻るが再び別れがあり、最後にロランスの小説の映画化らしき撮影現場で再会するのである。それは彼が作家として成功を遂げたことを暗示している。この梗概を先取りする形で前述の科白があるのである。またセリーヌを引き合いに出すところも心憎い。勿論ロランスの口で語られたセリーヌはデフォルメされており、実際とは違う。1944年デンマークに亡命するが、翌年コペンハーゲンで拘禁され、5年後対独協力の罪で有罪判決を受ける。翌51年第一次大戦の軍功が認められ特赦を受ける。しかし特赦後の作品は黙殺される。ただ亡命時の作品は評価され、57年に文壇に返り咲くが、61年脳卒中で死去する。また過激な反ユダヤ主義の論調から評価が分かれることになっている作家でもある。

グザヴィエ・ドランは、映画の手法は今までに遣り尽くされているから、それを学びさえすれば良いのだと言っている。前述のデフォルメも事実を曲げても、ロランスのたどる人生に沿わせる手法であり、ルキノ・ヴィスコンティなどはこの手法を好んだ。例えば「ベニスに死す」では主人公を作家ではなく音楽家に変え、そこに原作にないシーンを入れたりする。同じトマス・マンの後の作品「ファウストゥス博士」の主人公の音楽家をだぶらせるためなのだ。そしてその主人公にとって鍵となる女性エスメラルダの名前を映画の冒頭の貨物船の船腹に入れる手の込みようなのである。思いつきや勢いではなく、注意深く細かく練り上げた作品のみに通底する手法ではないだろうか。


いがらしデンタルクリニック | 新橋 歯科
院長 五十嵐淳雄