いがらしデンタルクリニック

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最前列で映写幕エクラン

第二幕「たかが世界の終わり」監督グザヴィエ・ドラン


◆オープニングとその含意 

グザヴィエ・ドランの映画には警句(アフォリズム)が出てくることが多い。2017年2月に公開された『たかが世界の終わり』にもストーリーを暗示するものが出てくる。 「人は様々な動機に突き動かされて、自らの意思でそこから去る決断をする、振り返ることもなく。同じように戻ろうと決意する理由も数多くある。」 ここではエイズで余命一年未満と宣告された、劇作家ルイの帰郷の物語になっているが、映画の中では、その理由には触れてはいない。
 オープニングは暗闇に徐々に明るさが増す飛行機の座席に、ルイが居る所からである。所在無げな彼に後部座席の子供が悪戯を始める。最後に彼の眼を両手で塞ぐのだが、ルイはその手を振り解こうとはしないのである。この象徴的な描写はドラン的であり、彼がこれからの人生で凝視しなければならないものを等閑視していると解釈できよう。
 空港に着き、暫く時間を過ごしてから、ルイはタクシーに乗る。通り過ぎる街並みと人々、そして後部座席のルイのバックガラスの遥か後方の空に赤い風船が二個漂っているのが映し出される。これも象徴的な伏線であろう。後の会話で分かるのだがルイは劇作家として成功を収めている。それは彼の夢であったかもしれないが、自分の僅かな余命と共に失われてしまうのである。それを遠ざかる風船で表現したのだろう。風船が二個あるのでもう一つは途中で電話を掛けた恋人との生活かもしれない。
 ルイが実家に着くと、母、兄アントワーヌ、兄嫁カトリーヌ、妹シュザンヌが待っていた。ぎくしゃくした会話とあげあし取りが続く。最後にシュザンヌが「ほらね、母さんにしかキスをしない」というくだりがあるが、原作では「誰にもキスをしない」である。ここはまさにドランの面目躍如といった感のある個所である。今までの映画を含めてドラン的世界では、母親と其の他の女性は区別されているのだろう。
 そこでカトリーヌが息子の名をルイにしたことを説明するくだりがある。彼女の家系は代々父親の名を息子に継がせたので、アントワーヌの名を付けようとしたが、彼が嫌がり弟のルイの名を付けたというのだった。彼女は続けて、貴方にも子供が出来たら自分の名をつけるのかと聞いてくる。兄は呆れ、妹は含み笑いをしている。彼はゲイなので、子供を作ることは出来ない。
 ここは原作とは異なっている箇所で、原作ではアントワーヌは二歳年下の弟である。彼を弟ではなく兄にしたところが、いかにもドラン的だと思われるのだ。この映画も今までの映画と同じく父親は不在である。ここではアントワーヌはルイが去った後、家父長の役割を務めようとして、結局果たせない、ルイにコンプレックスを持った男として描かれている。二重の意味でも父の不在は貫かれているのである。

◆ルイとは? 

  その後シュザンヌが自分の部屋にルイを誘う。そこでルイが家族の皆の誕生日に必ず絵葉書を送っていたことが知らされる。絵葉書は手にした誰もが読むことが出来る。長き不在を償うかのような絵葉書には個々に対する秘密めいたものはなかったのだ。云ってみれば形式立った思い出作りだったのだろう。 母親の呼ぶ声で二人はキッチンに行く。そこで彼女は「恒例だった日曜のドライブ」の話を蒸し返すのだった。その記憶の中ではルイは父ではなく、アントワーヌに肩車され、野原を進んでいた。ルイが家を出る前、二人の関係は密接であったことが類推できよう。そしてワインの性だろうか、ルイが洗面所で嘔吐した後、恋人らしき相手と連絡を取り、まだ話していないと告げる場面がある。
その後洗面所からの出会いがしらにカトリーヌと遭遇する。ルイは思わず 「兄が嫌なことを言ってすみません。貴女が僕を嫌いになるように仕向けている」 と言ってしまう。カトリーヌはしっかりとそれに答える。
「貴方の話は殆どしないし、彼は自分や家族に対して、貴方が興味を持っていないと思っています。貴方は彼がどんな仕事をしているか知っていますか。工具を作る工場で働いているのです」
そこでルイは、自分の来た理由を話しかけるが、カトリーヌに、自分はそれを聞く立場に無いと遮られてしまう。そしてルイはまともな受け答えも出来ず、微笑んでいるだけだった。
 この辺りまで観てきて面白いことに気付かされる。会話のみで進んでいく物語に対して、 殆どをルイは自分の右手を窓にしている。室内は昼間なので暗くても明かりを点けていない。従ってルイは顔の右半面は明るく映されるが左半面は陰になり余りよく判らない。それでは対峙している相手も同じように左半面のみが映されているのかと言えば、そうではないのである。多少の陰影の差はあったとしても、左右の表情は読み取れるのである。これはドランの描きたかったルイの二重性ではないだろうか。
 彼は十二年の空白を越えて、自分の死を知らせるため家族の元に赴いたのである。しかしその空白は永過ぎて家族の者たちは、新聞や雑誌でしか知らされていないルイの実像に近づけない。その上それぞれがその屈折した思いの丈をルイにぶつける。そのためルイは本音が話しづらくなるのである。そして彼らとの会話から、実はルイが家族に対して大した興味を持ち合わせていないことが、理解されてくる。ルイは二度ほど本音を言おうとするが、家族の誰かに話題を変えられてしまう。これもドランの描写の巧さなのであるが、恐らく家族の何人かは、ルイが話すことは、自分たちを苦痛に陥れると肌で感じているのだ。ルイも進んで話したいわけではないから、友誼の微笑みと二、三言の会話で紛らわす結果になっている。この曖昧な態度を彼の顔の陰影で表したのである。

次項「◆家を出る前の記憶」へつづく→ →

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