いがらしデンタルクリニック

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最前列で映写幕エクラン

第二幕「たかが世界の終わり」監督グザヴィエ・ドラン


◆動き始めた時間 


 陽も傾き始めた遅い午後、ルイは突如「帰らないと」と言い出す。アントワーヌはそれを聞くとルイを促して、空港まで送ると言い出す。母親もシュザンヌも唐突の物言いに動転する。ルイもその様子を見て、右顧左眄した態度を取り出すが、アントワーヌの強硬な態度に押し切られる。するとアントワーヌも女性たちから詰られ、カッとして、ルイの言葉尻を捉え、殴ろうと拳を構える。ここも手が込んでいるのだが、彼の拳には染み付いた油の汚れが映し出されている。ここに至って、彼がブルーカラーでルイとは階級の違う男であり、ルイの丁寧な物言いや読む新聞の種類にも食って掛かった訳が理解できるのである。
 最後にカトリーヌが部屋に残り、ルイに向かって目を丸くする。ルイは人差し指を立てて黙っていてとサインを送る。これは先ほどの二人の会話を受けて、血の繋がっていない彼女だけが、ルイの真意に気付いていると解釈できよう。この場面も含めて、従来のドランの映画と異なる点は、表現法としての言葉、台詞以外の可能性を探った点であろう。ここでは会話という記号は双方の理解を増すことはなく、状況をひたすら回避している。最も有効的な意思表示は顔の表情なのである。俳優たちは台詞と切り離された顔面の表現でストーリーを進行させるのである。従来の饒舌なドランの映画に慣れている観客は肩透かしを食った感じがする。彼の意欲的で観客を試すような試みは、恐らく玄人好みがする。この地味な映画が、カンヌ映画祭でグランプリを獲ったのも、その辺りの理解者がいたからではないだろうか。
 結局総てが曖昧のままルイは帰途に就かざるを得なくなる。家族の皆が居なくなったとき、壁に掛かった鳩時計が時を告げると、恰もそこから飛び出たように一羽の小鳥がルイに向かって飛んで来る。そして壁やガラスに無闇にぶつかり、最後は床に体を横たえ微かな息しかしない。それを後目に見ながら彼は外に出るのである。この意味するところは、少しベタな感じはするものの、時間が再び動き始め(死に近づい)たことを表していよう。迷い込んだ小鳥はルイ自身であり、唐突な訪問、意味のない会話、達成されない目的を暗示していよう。そして家族の思惑を越えられず、近づいた死に向かって自らの生活に戻って行くと理解出来るのである。
 勿論ルイが家族の元を訪れた時、時間が止まっていたわけではない。しかし彼は家族を通して過去の時間を覗き見ていただけなのである。映画の中でも鳩時計のアップがあり、切羽詰まった様子が映し出される。原作では冒頭で、死を前にしても、自己の去就(死を伝えること)を思い通りに出来るはずだと独白している。そのためにだけ家族に会い、伝えようとしたのだが、結局そうはならなかったのである。

◆役者に求める者 

 この映画は戯曲の映画化である。登場人物はたった五人であるが、仏蘭西の最も著名な俳優を集めた。しかもドランは彼らに従来の演技ではなく、今迄にない役柄を要求したのである。アントワーヌ役のヴァンサン・カッセルは「ブラックスワン」「美女と野獣」等で主役を演じているが、ここでは弟ルイに社会的に水を開けられた、ブルーカラーの中年男を演じており、その屈辱的な演技には迫力がある。シュザンヌ役のレア・セドゥは「007スペクター」でインテリの医者のボンドガールを演じているが、ここでは両肩に派手なタトゥを施した、自立できない女性を演じており、少し頭が悪そうな演技が面白い。そしてカトリーヌ役のマリオン・コティヤールの演技が一番目を引くのである。彼女は「インセプション」「ダークナイトライジング」「マリアンヌ」等の主演女優であるが、美人で聡明な役が多い。しかしここでは口やかましい男の妻で少し下がって、お愛想笑いをする曖昧さを持った女性を演じている。恐らく少し太り、風采の上がらない感じも出していると思われる。初めてコティヤールを観た観客は彼女が喧伝されているほどの美人だとは思わないであろう。それほど演技が巧妙なのである。母親役のナタリー・バイは「わたしはロランス」でも母親役で意外性のない手堅い演技をしていた。最後にルイ役のギャスパー・ウリエルは「ロングエンゲージメント」「ハンニバル・ライジング」の主演であり、一番知名度は低いがそれが却ってリアリティを生み出している。初回で観た場合、彼はさほど気の強くない真面目そうな青年に見える。しかし何回か観るうちに、彼の悪意、言い換えれば無関心さが理解され、誰が最も本心を明かさないかが明らかになるのである。その曖昧な演技が光っていた。
第二幕「たかが世界の終わり」【La Fin】

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