いがらしデンタルクリニック

港区新橋の歯科 いがらしデンタルクリニック|駅前徒歩2分の歯医者
東京都港区新橋1-9-1 北川ビル3F 
診療時間:10:00-13:00/14:00-19:00 休診日:土・日・祝日  

TEL:03-3572-6254
ホーム > 最前列で映写幕を

最前列で映写幕エクラン

第一幕「わたしはロランス」監督グザヴィエ・ドラン


◆イル・オ・ノワールへ 

 別れて5年ほどが経過して、フレッドはトロワ・リヴィエールに住んでいた。息子がいて裕福だが退屈な毎日である。ロランスも理解ある恋人と暮らしてはいたが、同様であった。彼には秘密があり、フレッドの家を突き止め、時々車の中から眺めていたのである。ただ恋人も気付いており、苛立たしさを隠していた。彼は朝起きると心の中で問いかける。「今どこ?何を着て何をしてる?」
 その後彼は出版したばかりの詩集『彼女たち』をフレッドに送る。その中に彼女の家のブロックの一つをピンクで塗るという一行を見つけ、見に行くとブロックはピンクに塗られていた。部屋の中で大量の水が降って来る場面がある。彼女はその意外性に打ちのめされ、手紙を書く。「ロランスあなたは総ての境界を越えた。残るはドアだけ。」 その手紙を先に恋人が読んでしまい、彼女は去っていく。手紙を見て、やはりロランスはフレッドのことしか考えられず、彼女の元に行くのである。このエゴイストぶりも見事だ。だがフレッドをイル・オ・ノワールに連れ出すことに成功したかに思えたとき、恋人がフレッドの亭主に事情を話してしまい、逃避行は中途で終る。
これも考え過ぎの感はするのだが何故トロワ・リヴィエールなのだろう。それは実際にカナダのケベック州にある市である。一つの川がもう一つの川に流れ込み河口が三つに分かれているのが原義なのだ。トロワ・リヴィエールは三つの川という意味である。それはロランスがフレッドと一緒になったとき、恋人がふたりを離す手段を講じたという意味になりはしないか。
 数年後再会の機会があり、バーで逢うがふたりは昔の二人では無かった。そこでもロランスは、僕が女にならなくても別れる運命だった、と無神経なことを言い、フレッドに呆れられる。フレッドはロランスといる限り脇役で甘んじなくてはならないことを把握するのである。トイレに立ったフレッドを察しロランスはバーを出る。フレッドも裏口から出るのだが、それはふたりがこれ以上の争いを避けるためでもあった。外は秋も深まり大量の枯葉が降っていた。これはふたりの関係が最早色褪せたことを暗示していよう。
 数年後ロランスの小説の映画化と思しき撮影現場で二人は再会する。ロランスはわざとよそよそしい自己紹介と共につまらない小道具を使い、フレッドを食事に誘う。そして同意する彼女のアップで映画は終る。ここは観客に判断を委ねていると思わせる所(ハッピーエンドの好きな人もいるから)でもあり少しずるい。ロランスは変わらないのである。いや女に変わりはした。

◆題名「わたしはロランス」について 

  今まで述べてきたようにこの映画には仕掛けが多い。だからとてもわくわくして観られた。そして何といってもグザヴィエ・ドランは男女の感情の機微に長けている。言ってみれば「愛情」のプロなのだろう。
 原題は『LAURENCE ANYWAYS』最後の会話で「とにかくロランス」と訳がある。正しい文法ならanywayであり、sがつくなら軽さも出よう。しかしグザヴィエ・ドランなのである。これを「いくつかのロランス」と考えても構わないのではないか。男で女が好き。女で女が好き。これはロランスの二態である。また当初はフレッドも訝ったゲイではないかと。それはグザヴィエ・ドランにとっての自己表明でもあるだろう。それだけではない。ロランスの生き方、愛し方こそ自分のWayなのだと、言っているのではないだろうか。それが自分の好むことをする権利を捨てず、嫌悪され、忌み嫌われようと希望を持ち続けようという映画製作の態度にも貫かれていることが理解できるのである。

第一幕「わたしはロランス」【La Fin】

ページのトップへ戻る