いがらしデンタルクリニック

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最前列で映写幕エクラン

第一幕「わたしはロランス」監督グザヴィエ・ドラン


◆3つの降ってくるもの 

 映画の冒頭で部屋で寝ているフレッドを起こすために、ロランスは洗濯物を彼女の顔に降らせる。彼女はその意外性に喜ぶのだが、これはロランスの数少ない長所の一つなのだ。彼と別れた後もフレッドはそのことを憶えていて、自分の息子に同じことをする。いや、それを儀式にさえしているのである。洗った洗濯物を顔に降らせてもらった経験は無いとしても、洗濯物に顔を埋めた経験はないだろうか。そのときやってはいけない気持ちとその反面、気持ち良さの反復を覚えたのではないだろうか。これはドランが若いため、まだその感覚を覚えていたためだろう。恐らくこの場面は、意外性の範疇が日常生活を出ないと云っているかのようでもあり、これらの洗濯物はみな色彩に乏しかった。
 しかし後半でロランスがフレッドを迎えに行き、外に連れ出しイル・オ・ノワールに行くことを同意させたときにも衣服が空から降ってくる。但しカラフルな衣服で下着ではない。この有名なシーンは意外性が日常生活の範疇を飛び越えたことを暗示していると思われるのである。

◆「欲望という名の電車」のマーロン・ブランドに対するオマージュとは 

  特典映像の中でグザヴィエ・ドランは「欲望という名の電車」のマーロン・ブランド-にオマージュを捧げていると、述べている。テネシー・ウィリアムズの有名な戯曲の映画化である。ブロードウェーとロンドンで興行されていて、その後エリア・カザンはロンドンからはヴィヴィアン・リー(ブランチ役)を、マーロン・ブランドー(スタンリー役)とその他はブロードウェーから選んだ。
 ブランチは妹ステラを頼ってニューオリンズに来る。『欲望』という名の電車に乗り、『墓場』という電車に乗り換え、『極楽通り』にたどり着く。この姉妹は以前、裕福な家庭に育っていたが、今は没落しており、妹は工場労働者のスタンリーと一緒に暮らしていた。彼は野卑で博打好きで、取り澄ましたブランチを嫌った。
ある日激しい夫婦喧嘩の末、ステラとブランチは階上の友人の部屋に避難する。酔っぱらって帰ったスタンリーはステラに戻るように、あられもない姿で懇願し泣きわめき続ける。根負けしたステラは階下へ下りて行くのだが、それは彼女がスタンリーから狂おしいまでの快楽を得ているからに他ならない。スタンリーはその点を理解しており、その利己的な愛欲が直ぐに達成されることに不安はないのである。
 これはロランスのフレッドに対する態度ととても近似している。彼はフレッドの亭主も息子も歯牙にもかけない。また自分に理解のある若い恋人に対してさえも同様なのだ。恐らくこれはドランの恋愛観であり、愛するということは利己的な行為そのものと言っているかのようである。
 前述の澁谷麻美さんと話した時、ロランスは映画の中で点としては、幾つも描かれてはいるけれど、それらを全体像として結ぼうと思うとなかなか上手くいかない、と興味深い意見を述べていた。これは僕も似た印象を持ったものだったが、原因は何処にあるのだろう。
 性同一障害のロランスが、カミングアウト後の社会的制裁を受けながら、文筆業で次第に名が売れていくのが縦糸とすれば、フレッドが変貌していく恋人ロランスに対し、理解、離反、再会を繰り返すのが横糸とも取れようが、その限りではロランスは見えてこないのではないか。この映画が一定の評価を持ちながら、何か隔靴掻痒感があるのはロランスの人格に対する理解の方向性に一般的にずれがあるためと思うのである。誤解を恐れずに言えば、ロランスは結構悪い奴である。前述のカフェの騒動の無理解も、イル・オ・ノワールに連れ出したことも、「欲望という名の電車」のスタンリーの性格が垣間見え、そこを理解すれば、ロランスの点は線に結び付くと思う。

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